明日はどっちだ

彼氏いない歴=年齢の底辺アラサー女がいろいろ模索するブログ

もう二度と会えない人を好きになるということ

25歳、冬。

つい1週間前、わたしはレスリー・チャンに恋をした。

いや、恋、というと語弊があるかもしれない。

だってわたしは、彼と一緒になりたいとか付き合いたいとか、それこそキスをしたいとかは全く考えていない。
ただ、彼を見ているとどうしようもなく胸が締め付けられ、気持ちが昂り、そして、とめどなく涙が溢れてしまう。
仕事がまるで手につかず、こうして職場でこんな文章を書いている。
これをどう表現したら良いのか、馬鹿なわたしはわからない。
更年期か、恋か。
それなら恋のがステキではないか。

なので、わたしはレスリー・チャンに恋をした。ことにする。

彼は、とても美しい人だと思う。
きっかけは、仕事終わりに偶然点けたテレビでやっていた『さらば、わが愛/覇王別姫』だ。
京劇の世界で生き、儚く散っていった悲しい男を彼は演じていた。
美しく、可憐で、愛らしい男。
叶わない恋をして、彼は勝手にその恋に別れを告げた。
陳凱歌はそんな男の生きざまを、残酷なほど鮮やかに描いていた。
わたしは速攻でamazonで作品を注文した。
わたしの程蝶衣は、1日も経たず、わたしの手元にやってきた。
物流の勝利だ。

銀幕の向こうのレスリー・チャンは、レスリーであってレスリーではない。
憑依型なのか、彼がとてつもなく器用なのか。
たとえば、今観ている男はレスリーではなく、程蝶衣だ。
レスリー・チャンを見ているようで、違う。
そこが魅力的であった。色んな顔を見てみたいと思えた。

今まで、わたしは香港映画に興味がなかった。縁がなかった。映画という近しい場所でオタクをしていながら。
だから、他にどんな作品に彼は出ているのだろう、とamazonに齧りつき、そして最新作は何なのだろうか。と胸を躍らせて、Wikipediaを見た。
そこで、わたしはある事実を知った。
彼はもうこの世にはいないというあまりにもショッキングな事実だ。
13年前の春、彼はこの世の舞台から下りてしまった。病気を苦にして。
マジか、と思った。
嘘だろう、と思った。
二次元のキャラクターじゃあるまいし、と思った。
今まで、何人かの役者の追っかけをやってきたが、こんなことは初めてだった。

今年で還暦になったらしい彼の姿を、もう誰も見ることはない。
歌を歌うところからキャリアをスタートさせて、
役者や時には演出とマルチに才能を開花させていた彼を、だ。

こんな悔しいことがあるだろうか。
無念なことがあるだろうか。

わたしは、大学生の時からある役者を生きがいとしている。
彼は、端正な顔立ちをしており、役者として様々な顔を見せてくれる男だ。
ただ厄介なことに、こだわりがあまりにも強すぎて、出演する作品が限られていた。
20年ものキャリアがありながら、引く手あまたでありながら。
4年ぶりに日本映画に出ればニュースになり、21年ぶりにドラマに出ればYahoo!ニュースに転載され、Twitterのトレンドになるような男。
生きてさえいればいいと思うレベルで彼の露出は僅かだった。
しかし、彼は変わった。
こだわりを捨てたわけではないが、一時期よりも遥かにわたしの前に姿を見せてくれるようになった。
それがどうしてなのか、プライベートの変化なのか、そこは別にどうでもいい。
ただ、彼が色んな顔を今でも絶えることなく見せてくれる。幸せなことだと思う。

そんな幸せのさなかに、わたしはレスリー・チャンと出会った。恋をした。
彼のように、新しい姿を見せてはくれない男にだ。
新作の発表がなされ、公開日まで今か今かと待ちわびながら、新しい姿を見ることのできない男。
生きてさえいればいいと別の役者に思っている中で、そんな風に考えるのは傲慢だとも思う。
けれど、どうしようもなく悲しい。なぜなら彼は生きてさえくれない。
amazonで買い漁った作品(午前4時に頼んで昼間には届く物流の力には感謝しかない)を見て、楽しむたびに、もっとこんな姿が見たい、という叶わない欲望がわたしの中で大きくなる。
彼はきっと、今でも色んな作品に出られたはずだ。今も彼を悼むファンは、彼をずっと愛していたはずだ。
悲しい。

今日、初めてレスリー・チャンのライブ映像を見た。
だっさい一昔前のキラキラした衣装を身にまとい、めっちゃ上手いと手放しでは喜べない歌を歌って、
そして大勢のファンに向かって屈託なく笑っている。動いている。
電車の中なのに、涙が止まらなかった。
レスリー・チャンは確かに生きていた。
輝いていた、キレイだった、可愛かった、かっこよかった、好きだと思った。

レスリー・チャンに恋をした。
当たり前だが一生叶わない恋だ。
けれど、彼に恋をしたおかげでわかったことがある。

それはチャンスを逃してはならないということだ、
ぼんやりと生きているのではなく、常にアンテナを張り巡らせ、飛びつく力を持つことだ。
そうすれば、可能性は無限大に広がっていく。
こんなに悔しい思いをすることはないかもしれない。
これをもし読んでいる人がいたら、ちょっとでも気になったものには手を出すことをお勧めする。
それがどんな沼に繋がっているか、なんて保証はないけれど。

でも、今でも鮮烈に輝く彼を今知ったこと、わたしは幸運だと思う。
幸せだと思う。
ハマってから1週間、どうにももやもやしていたので整理を兼ねてBlogに手を出してみた。
少しは落ち着いたかもしれない。

というわけで、近いうちに香港行ってきます!